カンパネルラの森

写真と言葉。

ニャンということ日記 序章

汚いから処分するという。ゴミを漁るから殺すという。生きているんだから、ご飯取れなきゃ 空腹にもなる。野良だって生き延びようと必死に漁る
それの何が罪なのか、僕にはわからない。

今までたくさんのニャンの面倒をみてきた。
体に無数の傷を負った子や、痩せて 痩せて 食べる力もない子や。子猫で目ヤニでひっついて目が開かない。ぬるま湯で少しずつ、少しずつ拭いてあげたら溢れるように膿が目から流れ出す。傷つけないように目薬をさし、膿を全部とってあげたら本当に綺麗な瞳が見えた。

やっと 見えるようになったね。ほんの少し ご飯をたべた。

しかし次の日 、眠るように死んでいた。
その後も何度も何度も、同じようなことがあった。
生ゴミみたいに捨てられた不幸な子を見るたび、心が裂けて壊れそうになった。命と向き合うことは常に苦しみと苦労を伴うことで単一的な同情では何も解決できない。相当な覚悟があるかどうかだ。

今は2匹のニャンと暮らしている。
子猫の時に捨てられ保護された 保護されたのは2月の寒空の中。男の子と女の子。とても小さい。
男の子のお尻からは大量のサランラップ
出てきた。おそらく魚の匂いがついていたから
食べたのだろう。女の子もぐったりと
した状態で保護されギリギリの所で助かった。

そして、この子たちが家族になった。
この子たちは宝物だ。決してお金では買えない。

目に見える物の価値と目に見えない物の価値。
孤独や悲しみを和らげてくれるのは
目に見えない価値しかないことを、この子たちが
教えてくれてような気がする。

 

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