カンパネルラの森

写真と言葉。

たむ たむ たいむ。時の流れで生きる。 

大阪という街で不思議な空間に

であうことがある。 

ツアートラベルというより旅人ってのが

似合う街でないといけない。

少しはノスタルジックでないといけない。 

生活がそこに、見えるってのは

何より大事で綺麗にしすぎたら駄目だ。

 

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約束

明日は約束されているの?

明後日も明明後日も約束されているの?

少しぐらいの不安はあったほうがいい。

我慢できるぐらいの悲しみがあってもいい。

生きるに困らない貧乏もいい。

失恋も何度かはしたほうがいい。

挫折なんて数えきれないぐらいあってもいい。

多少の病気は持っていてもいい。

なんとか越えられる壁はあったほうがいい。

いつか困難な壁にあたる日の為に。

その先には約束のない明日が待っている。

 

獅子になれ。野生を呼び起こせ。

壁を飛び越えるために、百獣の王となれ。

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吼えろ!吼えろ!猛獣の眼光を取り戻せ。

倒れても何度でも立ち上がれ。

獅子よ。俺の中の獅子よ。

目を覚ませ。サバンナの狩人よ。

 

 

 

 

 

凛として!

凛として咲く花。

誰の手も借りず、ただ道端て咲く花。

誰に見せるわけではなく、静かに散る。

いのちを燃やしつくし、次の為に。

僕はいのちを燃やし尽くす事ができるだろうか?

凛として咲く事ができているのだろうか?

欲という麻薬に侵されて生きていないだろうか?

大切な何かのため誰かの為に生きれているか?

一輪の花のように一瞬の輝きを放てるだろうか?

その問いは深く自分を責めたてる。

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バランス

僕のこころは、いつも微妙なバランスのなかで
迷っている。シーソのようなもの。
いつもなんとか、真ん中を保っているが、
少しのつまならない出来事や、昔のわすれようと
していた記憶が蘇ると、とたんにバランスが
崩れこころが暴れだす。
一旦暴れだしたこころはうねる荒れた海のように
いつまでも、揺れ続け 揺れ続け 大きな波が打ち寄せる。

音すら存在しない暗く黒い世界。
そして こころは孤立していく。
おもわず、吐いた言葉は冷たく鋭い。
無音の中、言葉はこだまし、僕の純粋な部分に
鋭いナイフのよう突き刺ささっていく。
もうひとりの自分が壊れていく自分を遠くで見つめている。

 

もうすぐ夜があける。
吐き出した言葉のかけらが、あたり一面に

散らばって 、太陽の光にあたるとき、
どんな輝きをはなつのだろう。

 

凝縮された、かけらを広いあつめ

空に放つ時  誰かのこころに届くことを祈りたい。

ニャンコという日記 今昔物語り

考えてみれば みるほど ニャンとの付き合いは長い。物心ついた時にはすでにニャンはいた。
田舎は田んぼがすぐ 側にあり、夏にはカエル、
蝉 、蛇、トカゲ、なんでもいた。
昔の記憶の中に住んでいるニャンは、田んぼを走り、神社の床下に隠れ、木に登り昼寝をし、
トカゲや虫を追っかけまわし。
夕方、猫まんまの時間になると、必ず戻ってくる。夜は納屋の藁の寝床でねる。
飼われているのか、ただの居候なのか?
そこは曖昧のまま、いつの間にか名前がつき、
ときには、あっちやこっちで居候するもんだから
うちではタマだかよそではミーとかいう事は
常に存在する。放し飼いが基本。
あの頃のニャンは、実に自由気ままだが、決して
長生きではなかった。 怪我をして直ぐに病院に
連れて行ってなんてこともなかった。
怪我をしたり、病気をすればそれは、死。

ニャンコが死ぬときは、家から姿を消すと言われていた。たしかに、昔は家に住み着いた猫の死んだ姿をみたことがない。それがニャンコにとって
危険回避行動だという事は誰も知らない時代。

あれから、動物たちの環境は間違いなく改善され
大切にされるようになってきた。
去勢 避妊が当たり前になり、動物病院がたくさんあちらこちらにでき、ホームセンターじゃペットコーナーにアイテムが溢れ、フードが溢れニャンコもワンコも長生きできるようになってきた。
野良猫と呼ぶことはやめ、地域猫と呼ばれるようになった。野良は差別用語という。

なるほど、確かにそうか。 

ワンコもニャンコも命と認められたという事か。

 

 

 

 

 

 

 

ニャンということ日記 序章

汚いから処分するという。ゴミを漁るから殺すという。生きているんだから、ご飯取れなきゃ 空腹にもなる。野良だって生き延びようと必死に漁る
それの何が罪なのか、僕にはわからない。

今までたくさんのニャンの面倒をみてきた。
体に無数の傷を負った子や、痩せて 痩せて 食べる力もない子や。子猫で目ヤニでひっついて目が開かない。ぬるま湯で少しずつ、少しずつ拭いてあげたら溢れるように膿が目から流れ出す。傷つけないように目薬をさし、膿を全部とってあげたら本当に綺麗な瞳が見えた。

やっと 見えるようになったね。ほんの少し ご飯をたべた。

しかし次の日 、眠るように死んでいた。
その後も何度も何度も、同じようなことがあった。
生ゴミみたいに捨てられた不幸な子を見るたび、心が裂けて壊れそうになった。命と向き合うことは常に苦しみと苦労を伴うことで単一的な同情では何も解決できない。相当な覚悟があるかどうかだ。

今は2匹のニャンと暮らしている。
子猫の時に捨てられ保護された 保護されたのは2月の寒空の中。男の子と女の子。とても小さい。
男の子のお尻からは大量のサランラップ
出てきた。おそらく魚の匂いがついていたから
食べたのだろう。女の子もぐったりと
した状態で保護されギリギリの所で助かった。

そして、この子たちが家族になった。
この子たちは宝物だ。決してお金では買えない。

目に見える物の価値と目に見えない物の価値。
孤独や悲しみを和らげてくれるのは
目に見えない価値しかないことを、この子たちが
教えてくれてような気がする。

 

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